遥か千二百年前、東国を巡錫中の伝教大師(最澄)と、この地(岐阜県安八郡)を治める郡司、安八太夫安次の歴史的出会いにより、神戸山王社(日吉新宮)の歴史がはじまった。 近江国坂本、日吉山王大権現(日吉大社)の分霊を伝教大師(最澄)自らにより祀られた由緒ある神社(日吉神社)である。 例祭は往古から神輿を中心として行われ、『神戸の火まつり』と呼ばれる勇壮絢爛さと、「王飯供御献上仕儀を以て神事の第一」として古代格式の通りに執行される千年に余る伝統を誇るまつりとして受け継がれている。(岐阜県重要無形民俗文化財) 「山王祭礼の担輿は、比叡の坂本の吉例に準じて、神輿を行幸し奉候。それより断絶なく今以て伝兵衛家より供奉仕候」・・・ 安八太夫安次の子孫、石原伝兵衛家は、日吉神社祭礼を司る特別の関係を持ち、神事を断絶する事なく供御(大飯)を禁裏と山王社に献じ現在に至る。 夜叉ケ池伝説(宗家)、神戸山王社は伝教大師(最澄)、源頼朝、徳川将軍家、尾張徳川家、戸田藩、等々から特別な恩恵を受けてきた。 神戸の深い歴史・伝統・文化は、誇りであり、熱い魂であり、先人から受け継がれ、後人に伝承される。 神戸の歴史、誇りと、魂の軌跡がここにある。 |
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神戸山王社(日吉新宮)には小神輿七基、大神輿七基の十四基の神輿が現存する。 八一七年、伝教大師(最澄)により四柱が祀られ、其の後、円仁(慈覚大師)が伝教大師の足跡を尋ね、該日吉新宮(現日吉神社)に訪れ三柱の神々を祀られた。 これにより日吉大社と同じ山王七社が調うことになる。 神戸の神輿の起源は、源頼朝の寄進により往古から修繕が繰り返され、現在の様相になったのは徳川三代将軍徳川家光公の一番華やかな時代である。 神戸が尾張藩の管轄であった為もあり、神輿は堂々たる豪華絢爛、全国多々ある神輿の中でも大変珍しい(岐阜県重要文化財) |
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